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自称ダンディ文豪(自称)
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何やかんやと慌ただしく、なおかつ頭を使う事が多くて諸国漫遊記記事はおろか返コメ巡回もままならない私(わたくし)を許して。。。ちゃんと消息確認をしとかないと、@りpのように捜索依頼→逮捕請求なるのではないかと、いささか不安にかられる自称ダンディ文豪(自称)である。おぶりがーど。
それはさておき 時(とき)の国訪問時に、総裁に御馳走になった一杯のコーヒーが私(わたくし)の中に眠っていたコーヒー熱を再燃させ、朝も早よから手回しミルでごりごりごりごり豆挽いて珈琲入れとる私(わたくし)である。ロールちゃんとコーヒーの朝食なんて、まるっきしオサレ気分まるだしなの。 とは言え 私(わたくし)とレギュラー珈琲との出会いはほろ苦くも奇妙なものであった。 それは私(わたくし)がまだ幼かった頃の話。 基本的に、と言うよりは根本的に私(わたくし)の生まれ育った家及びその地域一帯は大いなる田舎であった。ちょっと一杯と言えばお茶であったし、コーヒーと言えば砂糖とミルクを嫌と言うほどぶち込んだインスタントコーヒーしか存在していなかった。 そんなある時 ブラジルに移民していたという遠いとおい親戚が帰国し、我が家を訪れた。私(わたくし)も物心つくか付かないかの頃の話だから、どんな話をしたとか詳細は記憶にない。ただ、その親戚がコーヒーをお土産に持ってきたことだけは微かな記憶に残っている。 その親戚が帰国した後、さてお土産のコーヒーでも飲んでみようということになった。田舎者の我々でもブラジルがコーヒーの産地と言うことぐらいは知っていた。本場のコーヒーはさぞかし美味いのであろうと心躍らせ、家族全員が茶卓の周りに集い茶碗を手にした。 若干の違和感はあった。 しかし、それが何故なのかという知識を持ちえた人間が、家族の中には居らなんだ。 母はいつものごとく、皆の茶碗にお湯を注ぐ。 立ち上る芳しいコーヒーの香り。 しかし コーヒーの粒はいくらかき混ぜようともいつまでたっても溶けず、茶碗の表面に漂っていた。 家族のだれもが呆然として茶碗を見つめていた。 そう 我々は挽いたコーヒー豆をインスタントコーヒーと思い、 そのままお湯を注いで飲もうとしたのだった。 後日、物知りの親戚からそれはフィルターを通して飲むのだと教えられた。 しかし 人は期待感が大きければ大きいほど、その失望感は大きい。 私(わたくし)の実家ではその日以来、珈琲を嗜む人間がいなくなった。 今でも時折、珈琲豆を挽きながらその時の光景を思い出したりもする。 茶碗の表面を埋め尽くし、くるくる回りながら漂っている珈琲豆と芳しい香り。 私(わたくし)にとって珈琲のほろ苦さと香りは、その時のわくわく感と失望感に、心の奥底どこかでつながっているような気がしなくもない。
by e_vans
| 2009-08-08 11:02
| 或るダンディ阿呆の苦悩
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