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自称ダンディ文豪(自称)
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僕はもとより、ブログにせよツイッターにせよフェイスブックにせよ、これらが世界を変える!という鼻息の荒い意見には、極めて懐疑的な意見を持っている。そんな話を聞いた時には、いつもより多く眉に唾つけて見ることにしている。僕をはじめとした人間のやることなど、たかが知れている。時代のチャンネルを過去や未来に思いっきり回して見た所でそれは変わらない。そう確信すらしている。
所詮、人間のやる事じゃないかと。 そう、 それは、「たかが道具」なのである。 ただ、 この「たかが道具」が時折、とてつもなく便利な代物として機能する事もあったりする。 学生時代の同じ寮の同じ階に住んでいた数人と、フェイスブックを通じて連絡を取る事が出来た。その中でも僕の記憶回路の深淵を大きく揺さぶっていたのは、北の大地に暮らすドクターO(仮名)。彼は僕の同級生で、同じ時期に同じ階に入寮し、同じ時空間を共有した人物である。いわば、僕の学生生活の最も脂っこい時期を共に過ごした人物である。彼はで2年で寮を出て行き、それから疎遠になってしまい卒業以来どこで何をしていたのか互いに音信不通の生活を続けていた。それが二十数年ぶりにフェイスブックを通じてあいまみえることとなった。 なんちゅうか、 気色悪いくらいにあの頃と同じ距離感で話ができるわけだ。 お互い長い人生の中での、たった2年間の邂逅であったわけなのだが、その年月に似合わぬ素粒子の密度が濃い2年間だったのだなと。何回も書いてきたのでご存知の方も多いと思うが、僕が入った学生寮は当時では珍しい旧制高校の流れをくむ蛮カラ学生寮であった。入寮時は学ラン姿の上級生から「歓迎」とは名ばかりの手荒い歓迎を受ける。今から思えばそれは稀有な体験であったし、今の自分を形作っている骨格の部分は確実にその時期に出来上がったと思えるのだが、10代最後の時期、それも軽薄短小な時代の息吹を全身にまとった生粋文化系の僕にとって、最初それは嫌で嫌でしょうがなかった。(上級生になったとたん、それを後輩に向けてやったのであるが)。履修ガイダンスが終わっても上級生の屯(たむろ)する寮にすぐには帰りたくなくて、教養部の中庭でぼんやりと新入生の列を眺めていた。大慌てで英単語を詰めこんだ脳細胞は2次試験終了と共に全て空き家となり、換わりに強烈に肥大化した自意識を押しこみ仮分数化した、ふわっふわでむにゅむにゅした自分。その出来たてのマシュマロみたいな自分の感触が、ドクターO(仮名)とやりとりしてると、ありありと蘇ってくる。 「よぅ!久しぶり。」 札幌すすきのの地下街で20数年ぶりに再会したドクターO(仮名)は、学生時代と変わらぬ人の良さそうな笑顔を見せて、そう言った。 友人たちと久々に再開すると、「よくそんな事覚えてるなぁ。」と感心される事がたびたびあるのだが、別段僕の記憶力が優れている訳でもなんでもなく、その証左に僕自身が全く忘れていた出来事をドクターO(仮名)は一つ教えてくれた。 それは大学一年の秋、丁度今くらいかもう少し後の時期の出来事だったように思う。 その頃の僕らは、猛烈な恋愛体質だった。今は医師として、また家庭では良き父として振舞ってるドクターO(仮名)の尊厳のためあらかじめ断っておくが、彼自身の本性は決して恋愛体質の人間では無い。むしろ恋にはオクテのキャラクターだった。ただ、その頃の僕らは、誰もが流行病(はやりやまい)にうなされたかのように、恋愛を欲していた。なにせむくつけき第二次成長期の男どもの巣窟の隣には、うら若き乙女の女子寮がそびえたっていて、朝晩の食事時間には一緒に食事時間を共有するという、あたかも飢えた狼の鼻先に生肉をぶら下げているような環境下である。環境が精神にもたらす影響は計り知れない。したがって、恋にうつつをぬかすような人間では無かったはずのドクターO(仮名)も、図らずも恋に落ちた。恋のお相手はKちゃんとしておこう。 僕らは女の子を落とすテクニック研究に日夜明け暮れた。それはそれは大学の講義などよりもはるかに真剣に。しかし当時の僕らにとって、恋の道のりは決して平たんなものでは無かった。眼前に聳え立つ恋愛の山脈を前にして、僕らは明日にもその頂を制覇してやろうと勇みつつ、麓の原っぱでハイキングをしながら道に迷っていたようなものだ。ぐるぐるぐると。 そんなある日、ドクターO(仮名)がいよいよKちゃんに告白する決心をした。恋愛シュミレーションで最高の効果が期待できる「キャトル・セゾン」→「エバンス」というデートコースに彼女を誘ったのだと。当日の夕方、お洒落して意気揚々とドクターO(仮名)は出かけて行ったのだが、僕が寮の食堂で夕飯を食ってる時に、女子寮側から当のKちゃんが現れ女友達と一緒に夕飯を食べはじめた。よもやこれはドクターO(仮名)の、世界で最も悲しい一人相撲だったのか?僕の脳裏に、お洒落な店で一人悲しくKちゃんを待つドクターO(仮名)の姿が去来した。僕は意を決して、夕飯を食べ終わり食器を下げに来たKちゃんに声をかけた。 その時僕がどんな声をかけたのかは、今となっては自分でも良く覚えていない。なんせ、二十数年来忘れてしまっていた記憶なのだから。KちゃんはドクターO(仮名)のお誘いを僕に言われるまで冗談だと思っていたらしく、その後慌てて待ち合わせの店に向かったとの事。待ちぼうけを食らうはずだったドクターO(仮名)の恋の結末は、「良い友達でいましょう。」との返答をいただき、その晩僕らは残念会を開いて、見事砕け散った彼の恋を肴に、朝まで飲んだくれていた。そんな事があったのも、僕はすっかり忘れてしまっていた。 すすきのの街で二十数年ぶりに再会し、そんな昔話を交わしたドクターO(仮名)は、以前とちっとも変らぬちっちゃなナイス・ガイだった。今でもプールでバタフライを披露し、子供にも水泳を習わせているとのこと。大学病院から勤務医に変わって、忙しくしてるとの事。僕らが過ごした時間よりはるかに多くの月日がそれぞれの生活に流れ去り、お互いが社会的にも家庭的にも様々な顔を持つようになったけれど、会った瞬間に、お互いの原型と言うか、こんな奴だよな、という祖形が掴み取れるのは、稀有な存在だと思う。もちろん僕も十分に年を取った。けれども、人間って思ったより変わらんもんなのかもしれないなぁ、と思える経験ができた事自体、フェイスブックとやらもなかなか捨てたもんじゃないなと思ってみたりもするのである。
by e_vans
| 2012-11-04 11:24
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